メイデーの連休を利用してベラルーシのミンスクに行ってきました。
ウクライナに来る数年前、ある民放テレビの番組で世界で最も美女が多い国としてベラルーシを紹介していました。
レポーターがミンスクの目抜き通りで、歩いてくる若い女性をつかまえてはインタビューする内容でした。来るひと来る人みなグラビアモデルのような美女ばかりでびっくりしたものです。
これは是が非でもミンスクに行ってみなければと思ったものです。
ベラルーシの隣の国に住んでいながらこれまで足を向けなかったは、ベラルーシはビザが必要なことと、美女はウクライナで充分満足しているのでわざわざビザまでとっていくまでもないなと思っていました。
なぜ今回行く気になったかと云えば、短い休みにお手軽に行ける国が少なくなってきた為です。
ベラルーシのビザ取得はエージェンシーのインビテーションが必要なので厄介です。
ただしビザ発給の手数料は無料でした。
一部のインターネットサイトで空港でビザ取得が可能という記述がありましたが、大使館で確認したところではそのような事はないようです。
きょうはミンスクで咲き誇っている花々をお届けします。
チューリップとスイセンが多く、タンポポも満開でした。
“風の旅人” として多くの伝説を作ってきたデュエルン・レーフェンス。 2009年4月、デュエルンは愛車 “轟カル号” と共に再びウクライナのキエフへ。 ジオポタ・キエフ支部再始動! Part1は、http://geopottering.com/etc/kiev/
2010年4月27日火曜日
取りとめのない話
ジオポタゴールデンウィーク企画はみちのく横断ですか、いいですね。山寺は、かの松尾芭蕉も真夏に訪れて次のような句を残していますね。
「山寺や岩にしみいる蝉の声」
私もこの情景に逢いたくて10数年前の夏に山寺に行きました。 私の子供のころは階段に沿ってコンクリート製の滑り台があって茶店で何か尻の下敷くものを借りて、帰りは長〜い滑り台を滑って帰ってきたものです。10数年前に行ったときは跡形もなく消えていました。 境内で売っている醤油で煮込んだこんにゃくおでんも懐かしいです。今もあるかな?
先週の土曜日は再びバリショイ・バレーを見てきました。演目はカルメン・スイートとシェラザードです。
カルメン・スイートの音楽はオペラのカルメンと同じですが、振り付けはモダーンでした。 シェラザードは千夜一夜物語ですから衣裳が艶かしい。 きょうの写真はもっぱら観覧席の様子です。 キエフオペラ劇場の客席は典型的な馬蹄形をしています。 この形がオペラ劇場のベストだと思いました。客席の臨場感が最大に発揮できますから。
今回は3階ギャラリー席を取りました。 横2席ずつ壁で仕切られていて、ドアも別々です。なんかVIPなった気分、
これで1800円ぐらい、安いです。 舞台も奥まで良く見えるし、オーケストラピットも間近に見ることができる。 次回はアイーダを最上段から見てみたい。
日曜日は久しぶりに晴れたので、シーズンを控えて足慣らしにアパートの近所を少しだけ走りました。 気分爽快!
日本ほどではないですがウクライナもゴールデンウイークです。どこか近場へ旅行しようと考えています。
「山寺や岩にしみいる蝉の声」
私もこの情景に逢いたくて10数年前の夏に山寺に行きました。 私の子供のころは階段に沿ってコンクリート製の滑り台があって茶店で何か尻の下敷くものを借りて、帰りは長〜い滑り台を滑って帰ってきたものです。10数年前に行ったときは跡形もなく消えていました。 境内で売っている醤油で煮込んだこんにゃくおでんも懐かしいです。今もあるかな?
先週の土曜日は再びバリショイ・バレーを見てきました。演目はカルメン・スイートとシェラザードです。
カルメン・スイートの音楽はオペラのカルメンと同じですが、振り付けはモダーンでした。 シェラザードは千夜一夜物語ですから衣裳が艶かしい。 きょうの写真はもっぱら観覧席の様子です。 キエフオペラ劇場の客席は典型的な馬蹄形をしています。 この形がオペラ劇場のベストだと思いました。客席の臨場感が最大に発揮できますから。
今回は3階ギャラリー席を取りました。 横2席ずつ壁で仕切られていて、ドアも別々です。なんかVIPなった気分、
これで1800円ぐらい、安いです。 舞台も奥まで良く見えるし、オーケストラピットも間近に見ることができる。 次回はアイーダを最上段から見てみたい。
日曜日は久しぶりに晴れたので、シーズンを控えて足慣らしにアパートの近所を少しだけ走りました。 気分爽快!
日本ほどではないですがウクライナもゴールデンウイークです。どこか近場へ旅行しようと考えています。
2010年4月18日日曜日
グルジア報告最終回<トビリシ散歩>
帰りの飛行機は夕方6時発なので4時までにホテルに戻ればよい。メトロと徒歩でトビリシの街をのんびり散策することに。
カーチャはロングスカートに穿き替えてウキウキ気分!
悪ふざけでソ連の帽子を被りたいという。ロシアと戦争している国でCCCPのロゴが入った帽子はちょっと危険なのでは、写真だけ撮って止めさせました。(ロシアとグルジアの紛争はとっくに停戦したと思っていましたが、こちらの人達はいまだ戦争中という認識でした。)
(因みにソ連を表すCCCPはロシア語に触れるまで何のことか分かりませんでしたが、英語のSSSRに相当するロシア文字でした。)
閉鎖中の由緒ありげな古い映画館”シネマハウス”の一画にあるレストランだけがオープンしていました。店内は1960年代の映画のスタジオをテーマにした内装で、懐かしいジャズが流れています。
壁にはマリリン・モンローやオードリー・ヘップバーン、アラン・ドロンなど往年のスター達の写真が貼ってあり、あちこちに撮影に使う道具などがちりばめられています。
映画好きの老人達がジャズを聴きながらコーヒーを飲んだり新聞を読んだりしている光景はたまらなくいい雰囲気です。
2010年4月17日土曜日
グルジア報告10<夜景>
アイスランドの噴火でヨーロッパ全域の飛行機が飛んでいません。
キエフでは昨日、国内線だけ飛んでいましたが、きょうは空港が全面的に閉鎖されました。
オバマ米大統領はじめ各国首脳が参列予定のポーランド大統領の葬儀がどうなるのか気になるところです。
それにしてもポーランドはついていない、スターリンによるポーランド人大量虐殺の式典に参加する為にロシアに向った政府専用機が現地で着陸に失敗して大統領はじめポーランドの要人が全員亡くなり、その葬儀がまた飛行機が飛べず開催が危うい。経済的影響も極めて深刻です。
グルジア報告その10<夜景>
トビリシに限らず、キエフでもヨーロッパでも街の夜景が美しい。
ウクライナやグルジアのように貧しい国でも街のライトアップだけは熱心です。夜の街は本当に美しい、その街に夜到着するとさらにその印象が強い。
以前「日本はライトアップの文化が貧困だ」というような意味合いのことを照明デザイナーの石井素子さんが朝日新聞のコラムに書いていました。
確かに日本の都市はただ明るいだけで美しくないですね。看板とネオンだけが明るく、ライトアップのやりようがない、これも一つの文化でしょうか?
キエフのライトアップは幻想的ですが、トビリシは更にカラフルな照明が特徴みたいです。ドーム屋根の上に国旗を掲げている建物は大統領官邸です。
これまで見たライトアップで今でも印象に残っている街はドブロブニクのスタリゴーラッド、セビリア、キエフのライトアップもなかなかきれいです。
2010年4月16日金曜日
グルジア報告9<グルジアのジャパン>
走ること20分ぐらいで最初の目的地に着きました。4世紀の城壁が残る遺跡でした。地元の人もチラホラ散歩に来ています。
写真の3人連れの二人は母親と息子です。日本とウクライナからの珍客に興味深々でした。この母親からイースター玉子をもらいました。たくさん作ってきて出会った人に配るようです。
イースター玉子は殻を茶色に染めたゆで卵です。何かと一緒にゆでると茶色に染まるようですが、何だったかは言葉が分からなかった。お互いにイースター玉子をぶつけ合って割れた方が負け、没収される。このような遊びをやります。
落石が多い山道を上り下りして河原に出るとそこには温泉が湧き出していました。目の前はせせらぎと鬱蒼とした新緑です。露天風呂にしたら最高のロケーションだと思いました。
<グルジアのジャパン>
この近くに地図にも載っていない小さな村があり、その村の名前がジャパンという。
今朝ホテルで軽い朝食を食べたきり何も食べていない。今日はイースターなので店もレストランも全て閉っている。帰り道やっと一軒のシャシリキ屋を見つけた時は既に日が暮れてからでした。
グルジア報告8<小旅行2、SENAKI>
グルジアに侵攻したロシア軍はここに検問所を置いていました。
ソソの実家は道路から石段で数メートル上がった見晴らしの良い土地に建っていました。
現在は管理してくれる女性が一人住んでいます。
久しぶりの帰郷だったようで近所の人達が集まってきて再会をたいそう喜んでいました。
写真はソソの実家(レンガ壁の建物、今は半ば朽ち果てていましたが当時は豪邸だった面影は残っています。屋内プールもありました。)
ソソの老母”リエィーラ”と幼友達(名前は失念)とグルジアのお墓、ウクライナの墓と全く同じ風景です。
リエィーラが墓参りをしている間、我々は郊外の観光スポットへ出かけました。
2010年4月15日木曜日
グルジア報告7<小旅行1>
3日目はソソの車に乗せてもらい西にあるセナキまでドライブです。
セナキはトビリシから約300キロ西にあり、ソソの家族が昔住んでいた町で墓もここにあるそうです。イースターは日本のお彼岸に相当するので、教会でお祈りした後、墓参りするのが慣わしです。
ソソの母親が墓参りに帰郷するので我々もそれに便乗させてもらいました。
黒海へ注いでいるリオニ川に沿って途中何度も観光スポットに立ち寄りました。11世紀ごろの教会がたくさんあります。
SENAKIから50キロほどで黒海に面したPOTIですが、残念ながら時間がなく断念!
途中の道端に奇妙な形をした廃屋があり、私は住宅かと思ったら、カーチャは公衆トイレだという、ソソはレストランだという。
このあたりは焼き物の産地のようです。
同じ形の住宅がびっしり建ち並んでいる一画が続き、何かと思ったらオセチアの難民収容所でした。
グルジアとロシアの戦争は南オセチアの分離独立派をグルジア軍が爆撃したことに端を発しているわけですが、戦争状態になったオセチアから大量の難民がグルジアに押し寄せました。
近くにはロシアと戦闘があったグルジア軍の基地もありました。
・写真は古代の砦の遺跡です。
セナキはトビリシから約300キロ西にあり、ソソの家族が昔住んでいた町で墓もここにあるそうです。イースターは日本のお彼岸に相当するので、教会でお祈りした後、墓参りするのが慣わしです。
ソソの母親が墓参りに帰郷するので我々もそれに便乗させてもらいました。
黒海へ注いでいるリオニ川に沿って途中何度も観光スポットに立ち寄りました。11世紀ごろの教会がたくさんあります。
SENAKIから50キロほどで黒海に面したPOTIですが、残念ながら時間がなく断念!
途中の道端に奇妙な形をした廃屋があり、私は住宅かと思ったら、カーチャは公衆トイレだという、ソソはレストランだという。
このあたりは焼き物の産地のようです。
同じ形の住宅がびっしり建ち並んでいる一画が続き、何かと思ったらオセチアの難民収容所でした。
グルジアとロシアの戦争は南オセチアの分離独立派をグルジア軍が爆撃したことに端を発しているわけですが、戦争状態になったオセチアから大量の難民がグルジアに押し寄せました。
近くにはロシアと戦闘があったグルジア軍の基地もありました。
・写真は古代の砦の遺跡です。
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