3日目はソソの車に乗せてもらい西にあるセナキまでドライブです。
セナキはトビリシから約300キロ西にあり、ソソの家族が昔住んでいた町で墓もここにあるそうです。イースターは日本のお彼岸に相当するので、教会でお祈りした後、墓参りするのが慣わしです。
ソソの母親が墓参りに帰郷するので我々もそれに便乗させてもらいました。
黒海へ注いでいるリオニ川に沿って途中何度も観光スポットに立ち寄りました。11世紀ごろの教会がたくさんあります。
SENAKIから50キロほどで黒海に面したPOTIですが、残念ながら時間がなく断念!
途中の道端に奇妙な形をした廃屋があり、私は住宅かと思ったら、カーチャは公衆トイレだという、ソソはレストランだという。
このあたりは焼き物の産地のようです。
同じ形の住宅がびっしり建ち並んでいる一画が続き、何かと思ったらオセチアの難民収容所でした。
グルジアとロシアの戦争は南オセチアの分離独立派をグルジア軍が爆撃したことに端を発しているわけですが、戦争状態になったオセチアから大量の難民がグルジアに押し寄せました。
近くにはロシアと戦闘があったグルジア軍の基地もありました。
・写真は古代の砦の遺跡です。
“風の旅人” として多くの伝説を作ってきたデュエルン・レーフェンス。 2009年4月、デュエルンは愛車 “轟カル号” と共に再びウクライナのキエフへ。 ジオポタ・キエフ支部再始動! Part1は、http://geopottering.com/etc/kiev/