“風の旅人” として多くの伝説を作ってきたデュエルン・レーフェンス。 2009年4月、デュエルンは愛車 “轟カル号” と共に再びウクライナのキエフへ。  ジオポタ・キエフ支部再始動!   Part1は、http://geopottering.com/etc/kiev/

2010年4月11日日曜日

グルジア報告2<グルジア及びグルジア人のこと>

グルジアは私にとって殆んど未知の国でした。
古くはソ連の外相であったシュワルナゼが独立後初代大統領になった事やウクライナに来てからはワインの産地として、そしてロシアとの戦争ぐらいしか知識がありませんでした。どこに位置するのかもよく知りませんでした。ユーリヤさんに勧められたことやグルジアバレーを見てから急激に興味を抱きました。


グルジア人はバレーを見た限りではトルコ人に似ているのかなと思いましたが、全然違います。もちろんロシア人やウクライナ人のようなスラブ民族とも全く違います。
コーカサス人独特の風貌で特に鼻の下から上唇にかけての稜線に特徴があります。
それでも黒髪、黒い瞳の人から金髪、青眼まで様々です。最初金髪で青い眼の人は外国人かと思っていましたが聞いてみたら皆グルジア人とのことでした。


グルジア人は誰でもあたりまえのようにロシア語が話せますが、彼らどうしはグルジア語で会話しています。街でロシア語を見ることは稀です。殆んどの人がロシア語で会話しているウクライナとは対象的です。


グルジア人はロシア人とは民族的にも文化も歴史も全く違うので当然でしょう。独立後に急激に変化したのではなく、ソ連時代からグルジア人のアイデンティティーを頑なに守ってきたようです。日本語のグルジアはロシア語読みですが、ロシアとの紛争の後、英語名のジョージアに変えて欲しいと日本政府に要請したようですが、どうなったのでしょうか?


ブッシュ大統領がトビリシを訪問したのを記念してジョージ・ブッシュ通りと名づけた道路がありました。
因みにグルジア語でグルジアをなんと言うのか聞いてみたら"サカルトヴェロ"グルジアともジョージアとも全く似ていない。


ソ連の独裁者スターリンがグルジア出身というのは不思議な感じがしますが、ヒトラーもオーストリア出身という奇妙な一致があります。

ワイン以外たいした産業も無いようで、ウクライナよりも更に貧乏な印象を受けます。


グルジア人はロシアに大量に出稼ぎに出ていたようですが、ロシアとの戦争で多くが追い出され、その一部がウクライナに流れて来ています。
2006年当時のキエフは凶悪な犯罪は極めて少なかったでしたが、最近は銃を使った強盗など頻繁に発生しています。その多くがグルジア人によってもたらされていると日本大使館からメールによる注意が送られてきました。(日本大使館からは直メールで様々な情報が送られて来ます。)

グルジアは山脈に囲まれているので、どちらを見ても山ばかりです。トビリシの街も起伏が激しく、周りはやはり山です。


写真はホテルのすぐ近くの小さい教会とそこからの眺め、教会にお祈りに来た少女とカーチャの記念撮影、ホテルの向かいの小さいパン屋、教会でキャンドルに灯を分けて貰った人達が立ち寄ってパンを買って帰る。
壷のような釜の内側にペタッと張りつけて焼くパンは物凄く美味しい。
グルジア文字の看板、まったく解読不能!
古い住居表示にロシア語が残る。

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