先週の金曜日からバカ陽気になり、20度も一気に気温が上がり、すっかり春のようです。
しかしこの陽気は長続きせず、週半ばからまた寒くなるようですが、以前ほどではないようです。
陽気に誘われて、先週のソフィア寺院に続いて今週はペチェルスカ大修道院へ行ってきました。
2006年の1月に行って以来二度目です。
広大な敷地におびただしい数の施設が建ち並び、修道院以外は開放されていて見学できます。
ジェノサイドの展示館:
遠くに修道院を望む写真の右側にあるロウソクの形をしたモニュメントはその地下がジェノサイドの展示館になっています。
2006年の夏にこのへんをサイダー・サリーナと一緒に自転車で走った頃は無かったので、その後作られたものでしょう。
この歴史はウクライナに来るまで全く知識が無かったのですが、1932年から33年にかけてウクライナの農民がスターリンによって大虐殺されたもので、ナチのユダヤ人虐殺を上回る700万人が犠牲になったと言われています。この数はウクライナ人口の2割に当たります。
虐殺の方法は極めて簡単で、ナチのように収容所もガス室も必要でなく、ただ食料を取り上げて、逃亡を防いで餓死させるというもの。
この事実が世界に明るみになったのは最近のことで、それがソ連崩壊を早めたとも云われています。
なぜスターリンこのようなことをやったかは単純で、当時コルホーズ政策を進めようとしていたソ連にとって肥沃なウクライナの農地は大変魅力だった。しかし土地にしがみついているウクライナの農民が邪魔であった。こんなことだろうと思います。
ペチェルスカ大修道院:
この修道院はおそらくウクライナで最も古く、最も規模の大きい修道院だと思います。
修道院の地下には長大な地下壕が掘られていて、そこにはおびただしい数のミイラが安置されています。
モンゴルが侵略してきた時に宗教施設は徹底的に破壊され、かつ宗教弾圧を受けたので修道士たちは地下壕を掘って地下に潜伏しました。そこで亡くなった修道士を安置したのが地下壕の自然環境でミイラ化したものです。
一体一体のミイラとなった修道士には生前の肖像画が付けられていて面影をしのぶことができます。
“風の旅人” として多くの伝説を作ってきたデュエルン・レーフェンス。 2009年4月、デュエルンは愛車 “轟カル号” と共に再びウクライナのキエフへ。 ジオポタ・キエフ支部再始動! Part1は、http://geopottering.com/etc/kiev/