“風の旅人” として多くの伝説を作ってきたデュエルン・レーフェンス。 2009年4月、デュエルンは愛車 “轟カル号” と共に再びウクライナのキエフへ。  ジオポタ・キエフ支部再始動!   Part1は、http://geopottering.com/etc/kiev/

2010年5月7日金曜日

ミンスク報告その1

ミンスク報告その1<IBB HOTEL>

ベラルーシはソ連時代の地図を見ると白ロシアと書いてありました。ベラルーシはウクライナ同様、ソ連邦の時代からベラルーシとして国連に加盟していて、一定の独自性を保っていたようです。ベラルーシの起源は9〜10世紀ごろのキエフ・ルーシにありますから、ウクライナ、ロシアとほぼ共通した歴史を持っています。国名のベラルーシは白いルーシという意味です。因みに日本語で云うロシアは実際の発音はルーシァです。ウクライナ、ロシア、ベラルーシの原点はキエフにあり、です。

先月30日、仕事が終わってから空港へ向かい、ミンスク行きのフライトはベラルーシのエアラインBELAVIAのCRJ100(CANADAIR50人乗り)です。定刻20時40分にテークオフして1時間の飛行であっと言う間にミンスクに到着、機内サービスは飲み物だけ。
空港からはタクシーに乗ってホテルに向いました。しばらく灯り一つない真っ暗闇の道をひたすら走り、これが首都の国際空港からのアクセスかといぶかしく思いましが、そのうち街路灯のある高速道路にでました。いやにゆっくり走っていると思ってスピートメーターを見ると60を指している、マイル表示でした。最高速度は90キロに押えられているのだそうです。キエフは制限速度130キロですが150〜160キロ程度で流れています。それに慣れているから90キロのスピートは物凄く遅く感じます。

予約したホテル”IBB HOTEL”はミンスクの市街地ではなく郊外の住宅地にある小じんまりしたホテルでした。
安いのと極めて清潔な感じが気に入ってこのホテルにしたとのこと。このホテルはドイツ資本のホテルチェーンで、建物のデザインは徹底してドイツ風、サービスもドイツそのもの、その為かドイツ人客もたくさんいました。
ホテルにしては身障者や老人用の設備が余りにも整っているので、当初サナトリウムか老人ホームだった建物をホテルに転用したのかと思いましたが、そうではなくこのホテルのポリシーのようです。 

ホテルの駐車場にはベラルーシの車に混じってロシアナンバーの車が4,5台止まっていました。    ウクライナナンバーも一台ありました。地続きなので近隣国から車で簡単に来れるようです。


ホテルはなだらかなカーブを画く宿泊棟とエントランス、レセプション、多目的ホールからなる棟とレストラン棟の三つの棟で構成されています。一面ガラス張りの廊下は明るく気持が良いです。レストランも嫌味のない趣味のよいデザインで好ましい、着いた晩に何か飲みたいと思いましたが、結婚式のパーティで貸切で使っていました。

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